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禅と気づき【禅師の金言】

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世界から見れば、日本といえば”禅”というイメージがあるようですね。

でも、禅ってなんでしょう?

みなさん自分なりの答えってありますか??

 

苦悩を減らすのに、禅にヒントがありそうだし、日本人として知っておきたいなーとの思いからまとめてみました。

 

調べてみると・・・医療はもともと宗教と一体でした。

なかでも仏教は仏教心理学とも言われ、苦しみから解放する方法は、医療に通じるところがあります。最近ではマインドフルネスで、心の落ち着きを取り戻し、生産性を上げる企業もでていますよね。まさに坐禅から宗教観をとったものです。

 

実際、私も坐禅や写経を行い、般若心経も覚えました。


その途中で”永平寺 78代住職 宮崎奕保禅師 104歳の言葉”に出会いました。
106歳の天寿を全うされた方で、生涯、実行で示した方です。

 

僕は無宗教ですが、とても感銘を受けたのであわせてお伝えします。

 

  

永平寺 78代住職 宮崎奕保禅師 104歳の言葉

 

そのものとひとつになっていくことが禅だから

 

しゃべったらしゃべったで しゃべることが禅だ

 

スリッパを脱ぐのも坐禅の姿や

 

例えばスリッパがいがんでおったら ほうっておけないんだ

 

スリッパがいがんでおるということは 自分がいがんでおるんだ

 

自分がいがんでおるから いがんだやつが直せないんだよ

 

すべて心があらわれておるんだから

 

心がまっすぐであったら すべての物をまっすぐにする必要がある

 

修行をしておるんではなくて 当たり前のことをやっておるんや

 

それよりやることないんだ

 

やっぱり日常の生活が手本やな 口だけでない 実行で示した

 

だから人間はまねをせないかん

 

学ぶということは まねをするというところから出ておる

 

一日まねをしたら一日のまねや

 

ところが一生まねしておったら まねがほんまもんや

 

自然は立派やね

 

わたしは日記をつけておるけれども 何月何日に花が咲いた

 

何月何日に虫が鳴いた ほとんど違わない 規則正しい そういうのが法だ

 

法にかなったのが大自然

 

自然の法則をまねて人間が暮らす

 

人間の欲望に従っては迷いの世界だ

 

真理を黙って実行するというのが大自然

 

誰に褒められるということも思わんし

 

これだけのことをしたら これだけの報酬がもらえるということもない

 

時が来たならば ちゃんと花が咲き

 

そして黙って 褒められても褒められんでも すべきことをして黙って去っていく

 

そういうのが 実行であり 教えであり 真理だ

 

www2.nhk.or.jp

 

禅の教えの基本

禅の教えの基本は「不立文字(ふりゅうもんじ)」という仏教の思想です。文字や言葉による教えとは別に、修行体験によって教えを伝えることが禅の神髄であるという意味です。

 

不立文字の修行によって禅が目指すのは「悟り」を開くことです。悟りとは、自分の内にある仏性に気づき、身も心も一切の執着から離れることです。

 

禅宗では、悟りに至る修行方法として、坐禅公案に加え、生活する上での掃除や料理などの作業を示す「作務(さむ)」があります。

 

坐禅を組んでの瞑想は2500年前の釈迦の時代からだよ

達磨(だるま)さんや一休さんも禅僧だね

 

写経体験(文明寺にて)

写経の流れ

・仏前に座って合唱して一礼(合唱は顔の前で手を合わせゆっくり胸元にさげる)


・手を洗い口をすすぐ


・仏前を向いて、開経偈、般若心経をそれぞれ読む(鐘を鳴らしたら合唱して一礼)


・写経40分
 机、座布団、筆ペン、見本、半紙、錘を準備。見本を上からなぞっても、横に置いて書き写してもOK。筆ペンでOK。筆は難しいが、墨をすらずに直接つけたほうが色むらでない。一回で終わらせなくてもかまわない。


・片付けたら、仏前を向いて回向文を読む


・住職のお話をきく(10分程度)

 

・掃除をする(箒で室内をはいたり、雑巾で仏具をふく)

 

般若心経

文明時の住職のお話。ひとことでいうと“執着しないこと。捉われないこと”。すべてお借りしたもので自分のものではないという意識。写経は、自分と向き合う時間を大切にすること。仏道とは、お天道様がみていると思って自分を律することとありました。


感じた点

小鳥のさえずりが聞こえ、没頭しやすい環境ですがすがしくかけました。丁寧に字を書くという行為は、とても尊い時間に感じました。般若心経を皆で音読すると、大きな流れに身を任せるような感覚になりました。

 

写経1年を通して

2017年4月1日~2018年3月30日までの1年間、写経を行い日記をつけました。

 

最初は、筆ペンで一文字一文字丁寧に書くことを意識しました。すると一画一画丁寧に書くことの大切さに気付きました。

 

さらに全体としてのバランスをみながら書いたり、筆の持ち方も正しい持ち方が楽だときづきました。

 

次第に写経の歴史や言葉の意味を調べるようになりました。

 

筆ペンから筆にかえると、硯をする動作や香りも心を静めることに気づきました。

 

机の上も整頓されてないと気持ち悪く感じるものです。

 

その日はうまくかけたと思っても、翌日みると歪んでることに気づきました。

 

お手本と比較すると自分の癖に気づきました。

 

10月27日から写経と並行して読経の暗記を試みました。

 

すると意味も分からず書いていたときと、意味を知ってから書くのとで向き合う質が変わりました。

 

11月11日にはじめて読経を通しで言えました。

 

書く文字がわかってると、全体のバランスに集中できるようになりました。

 

顔が近いとわからなかったのですが、距離をとると字のバランスに気づき姿勢がかわりました。

 

見本と比べるとできないところに目が行きますが、昨日の自分と比べたらできているところも見えるようになりました。まだまだ、見本をみないと歪みます。

 

1月になると絵馬などに字を書くのが楽しくなりました。丁寧に書くことも大事ですが、自分らしい字を書けたらなとも思うようになりました。

 

3月の末には見本をみなくても少しはみれる字になり、ちょうど1年たったので、日々の字を丁寧に書こうと終えました。

 

 まとめ

毎朝決まった時間に、字を書くことに集中する時間は、とても尊い時間になりました。

 

般若心経は「観自在菩薩・・・」から始まります。”観ることが自在な菩薩”という意味ですが、どんなに苦境でも捉え方が自在にできることが幸せの秘訣かなと思います。

 

そして、”空(くう)”という言葉が多くでます。

 

(ちなみに、この空から数学史上最大の発見といわれる数字の”0(ゼロ)”を導き出したのもインド人です)

 

この”空”こそが、何ものにも煩わされず解放された自由な広がりであり、目指したい境地と感じました。

 

 次から次に考えが浮かび、思考が定まらない方は、座布団一枚からの座禅、筆一本からの写経を試してみてはいかがでしょうか?